「アイスランド最高裁判所、妖精エルフの存在を認める」とありましたが、この国では60%以上の人がエルフとかトロールの存在を信じているんですって..でもちょっとお国柄のイメージが違うような。。。
アイスランドの民間伝承というと、羊飼のギルムスゥングルのお話が有名ですが、簡単にいうと山姥(やまんば)ちっくなお話とにているのですが、羊飼いの少年がトロールの家族にとらわれてペットな羊飼みたいにされちゃうお話ですねぇ。やっとのことで人大勢いる村に逃げ込むのですが。。トロールは丘の上でじぃーとペットな羊飼いが返ってくるのを待っていてでもトロールは太陽の光にあたると石になってしまうんです。翌朝村の人が起きて丘の上を眺めると大きな岩になったトロールがいたと。。
まさに丘の上からペットな羊飼いを待つかわいそうなトロールたん(-_-∫)とういうお話なのです。。もしこれがエルフだったなら、羊飼いは、ギリシア神話のように人間とエルフの間に子をもうけて。。その子供が王様になって。。みたいな絶対王政の権威みたいな語り部話として利用されるようなことがあったのかもしれませんが、アイスランドには王国はなかったとおもいましたので。。あくまでも里の伝承ということなのでしょうね。
このエピソードを私なりに解釈してみると。。いくら相手から好き好きと好意を寄せられても未知なるものはやはり恐怖を感じるというこなのですねぇ。
とまぁここまではいいのですが、日本で小説とかラノベとかに出てくるエルフとかトロールってちょっとアイスランドな感じじゃぁないですよね。もっと暖かめの北欧とか妖精みたという姉妹がいるイングランドとか、フランス近辺の森とか。。
実際は、寒ーい、荒涼とした自然が包み込むお国のキャラクターだったのだとちょっと新鮮でしたが..ファンタジーな世界というのは、自然という未知な存在を脳内変換して、妄想して、現実からかけ離れた都合のよい世界をミックスしているような感じなのかもしれませんねぇ。つまり、こういう都合の良い脳な返還をするという行為は人間が進化する上での環境適用という概念に置いて重要なのかもしれません。
伝承の中のエルフやトロールは、過酷な自然に畏怖の念をいだくことで、そのうち見えない対象が擬人化されていったという感じなのでしょうね。人は心理的に未知なるモノに対しては畏怖の念をいだく生物などだと言えます。それは本能的に自らの生存をまもるという点で実に合理的な反応だといえるのではないでしょうか?
「未知なるモノ=生命の危険をおかすかもしれない」という前提にたって生存という結果を最低限保証するための本能的なリアクションということなのですね。
これに対し、「未知なるモノ=現実離れした2次元世界=心地よいモノ]みたいなヤツが萌えるツボなのかもしれませんねぇ。ただ前提としてそれを味わう人は安全圏にいることとなるでしょけれど。。
一方で、人は生物学的には環境適用能力を進化させた種だと言われています。砂漠地帯から亜熱帯、ツンドラ地帯まで、アフリカ大地溝帯から発生した人類はわずか数万年のうちにユーラシア大陸をへて、南米大陸まで到達したとも言われています。未知なるモノに本能的に抱く畏怖の念は、一方で慣れてくると何かしら文脈として片をつけるという行為に移行するのでしょうね。そうして未知なる領域へ進出するという環境適応能力という本能は、子孫繁栄のためにさまざまな拡張をこころみるこれまた遺伝子レベルに隠された本能であるとも言えます。
アイスランドのエルフやトロールというのは、こうした自然に対する目に見えない畏怖の念とそれが長い年月をかけて親から子へと伝承されるなかで擬人化されたものなのだと推測できるのですが、日本風にいうと「もののけ」とか「妖怪(ようかい)がそれに該当するのでしょう。
小説(しょうせつ)とは「とるにたらない物語」という意味なのだそうですがまさにこうした民間伝承は、伝奇ロマンだといえますね。しかし、和風モノを伝奇、架空の世界をファンタジーというようですが、エルフとかトロールはファンタジーな物語によく登場しますね。まぁ人が空想する現実にはない世界といういとその根源はアイスランドの自然にあるのかもしれません。
「自然=ある法則やルールによって司られている世界」 という見方をするとファンタジー世界観の設定も、私たちが住む環境からちょっと一味違った世界を設定するとい1うのが乙なのかもしれませんね。だって、あまりにかけ離れている世界観ですと、説明と理解が大変かもしれませんから。
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