女性はBL、男性は百合みたな同人マーケットではそいう消費者層といのが一般的な見方ですが、本能的なニーズを満たすような視点からちょっと違った視点で百合の美学について考えています.:*゚..:。:.
百合というとレズビアンという言葉に比べて軽めの女の子同士の友愛(兄弟、友人の間の友情)を意味するニュアンスの象徴として認知されているように思うのですが、そいう意味では同人マーケットにおける直接的な欲求を満たすような作品とはちょっと違った次元での美学というもんがあるような気がするのです。
この故事は、美しい女性の容姿や立ち振る振る舞いを花に例えて形容する言葉だということです。
芍薬(しゃくやく)はすらりと伸びた聞くの先端に綺麗な花を咲かせ、
牡丹は枝分かれした横向きの枝に花をつける。
百合は風を受けて揺れる様がさまが美しい。
ということで、芍薬は美しい女性が立っている姿の様、牡丹は美しい女性が座っている様、百合は美しい女性があるいている姿。という意味で表現されたもののようです。
江戸時代に美人画という大衆で受けたブロマイドみたいな絵があったと思いますが、これも言ってみれば男性目線で女性を生け花を鑑賞するようなそういう感覚で見ていたという見方もできるのではないでしょうか?
「乙女はお姉さまに恋している-2人のエルダー」という作品は、女学院の女装して通う事を強いられた主人公の波乱万丈学園生活を描いた学園恋愛アドベンチャーゲームなのですが、2006年にアニメ化されて、2011年に2人のエルダーが発売と同時にOVAとして3話完結のアニメが作られたようです。
初期の作品では、コメディタッチな作風ですが、3話完結のOVA作品は、生け花をみるような感覚での百合の美学的な側面がなんとなく出ているような感じがしたのでした♪
上で述べたような鑑賞という観点で見てみると、
マジックアワーの夕陽という色彩を背景に2人でいる姿を第三者が垣間見るシチュエーションを鑑賞するというBLにも通じる外部から鑑賞するというシーンがあって
フェンシングという1対1という2人で心をぶつけ合う姿を鑑賞するという描かれ方がしてあって
最後に清楚な百合の白い色が月明かりで印象的にきれいに見えるキスシーンがあって・・・
とまぁ味方によっては光によって醸し出される季節の色彩をバックに生け花の美しさを第三者という立場で”鑑賞する”という絵かがれ方がされているような感じがしませんか?
ところで、このシーンは3話のみ作成された2人のエルダーにちなんだOVAなのですが、このOVAはどちらかというと発売されたゲームをより印象的に楽しむためのライトノベルでいうところの挿絵のような感じのツールとして作られたのかもしれません。
こうしてみると百合の美学というのは、女性というキャラクターを生け花の花みたいに鑑賞するというわびさびにあるのかもしれないと思った今日この頃だったのですが、ポイントは千利休の茶道みたいに、竹筒に生けられた一輪の花を素朴な茶室があってこそきれいに見れるという見方ができるか!という味わいができるかということかもしれません。
多くのキャラが絡む様を演出することで、BLとか百合作品のバリューという萌えポイントがぁ!という人もありますが、やはり生け花や茶道に通じる美学を見出そうとすると、この作品のように、2人の人間の他愛もない心の刹那な動きを第三者の視点で鑑賞することができるという点にあるのかもしれませんねぇ。
そういう意味では直接的な表現よりも湾曲したり比喩的なオマージュされたような表現に百合の美学を見出せるのかもしれません。
しろ: 10年前に作られたゲームがヒットして、2010年代の生け花や茶道につうずるモチーフへ発展してきたこという見方をするとわびさびの境地で鑑賞するという消費サイドの生成の進化も着実になされているということが言えるかもです(ノ・ω・)っ
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