一般的に光というと希望を与える功名みたいなイメージがあり、闇というと先が見えない不安みたいなイメージがありますが、これは暗闇が支配する夜、捕食者から身を守る恐怖と戦いながら過ごしてきたという人類が古来から受け継がれてきた光と闇に対する人が抱く認識なんかが影響いているのかもしれません。そんな中、夜もまぶしいばかりない光に満ち溢れ、常に光るモニターや電子機器に接している現代の人々にとって、光と闇に抱く概念ってひょっとしたら変わってきているのかもしないかも!ということで、光と闇に対して人が抱くイメージというもについてちょっと考えてみました。
「光が見える=希望」、「心を闇が覆う=絶望」、「Light of hope=希望の光」、「darkness of mind=心の闇」というように光と闇に関するイメージのとらえ方は全世界ほぼ同じようなイメージが流通しているようです。
「光」: 明るい、暖かい 「闇」: 暗くて恐ろしい
という共通の意識です。
これはよくよく考えてみると人類が積み重ねた歴史や経験が影響しているのだろうなというのはなんとなくわかりますね。電球が発明される以前の世界は、夜は暗闇に閉ざされた世界。あかりがあったとしてもろうそくやランタンといったささやかな明かりしかなかったわけで、光が照らし出す範囲至極小さく、かつゆらゆらと消えてしまいそうな光に移った影やちょっとした物音というのは、狙いを定める捕食者や、悪魔や妖怪といった超常的な畏怖を人が抱くようになるというのは至極当然だったことでしょうね。
そんな科学の補助のない、知識も教育も十分施されていなかった時代、光:安心、闇:恐怖という概念が固定化して行ったのだろうなぁというのはなんだかわかる気がします。
人は人生のうちの3割を睡眠に使うといわれているようですが、睡眠というメカニズムは、太陽の周りを地球が24時間で自転することで起こる、昼間と夜という周期に沿って進化してきたメカニズムだと言えそうですね。夜暗くなると目が見えなくなって行動できなくなるから、安全なねぐらで睡眠をとって疲労を回復させるという進化をしてきたというのは合理的な進化だと言えます。
でも、ここ100年ぐらいというかここ30年ぐらいだと思いますが、現代人は、24時間昼間と同じような明るい世界で過ごす時間が増えているんじゃぁないでしょうか?
宿題、予習、復習、テスト勉強、塾通いといった子供時代から夜遅くまであかりの下で勉強したり、まったく昼間と同じ環境で深夜1時、2時まで残業して企画やレポートや事業計画をまとめたりなどなど、子供の時から大人になってまで、本来の人が持つ生物学的なバイオリズムをくずしてしまうように、人が一生の中で過ごす「光」と「闇」のバランスが崩れてきているのかもしれません。
「光」=まぶしい、疲労・困憊を我慢して努力しつづける
「闇」=落ち着く、安らぎ
みたいにイメージを書いても違和感がないという人も実は多くなっているのかもしれません。
たとえばですが、分かり易い事例を一つ上げてみると・・・
((ラグジュアリーで、癒しのイメージ空間))
高級ホテルのお部屋などは、暖色系の暖かいサイドライトなどを多用した暗めの空間が多い。決して天井から太陽が降り注ぐような照明などがついていないことが多い。=リラックスできる癒しの空間演出として明るすぎるよりも暗闇を多くしている
((リゾートにある高級レストラン))
テーブルの上に置かれたロウソクだけを証明に、お酒や魚介、お肉料理に舌鼓を打つ高級レストランは至福の時間を過ごすに値する価値があると思う人がそれなりにいる
などなど、だんだん希少なものとなりつつある「暗闇」に関して、現代人が抱く印象って年数を重ねるに従った徐々に変化して行くのかもしれない・・と考えてみましが、冒頭で触れた「光」=正義、「闇」=悪、「光」=希望、「闇」=絶望、みたいなテンプレートが徐々に変化していくかもしれませんね。そいう意味では100年後のラノベとか小説とか漫画のテンプレートなプロットなんかがどうなるのか見てみたいなぁと思わなくもないですね。
ソラマメ: 鳥肌が立つ=怖い→感動したぁ!とかヤバい→ステキ!みたいに、言葉をとらえる感覚って案外変わっていくものなのですが、光と闇という固定概念も夜も明かるのが当たり前なのが100年単位つづくと変わっていきそうな気がする・・・
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