小説なんかでは幼馴染と高校生、大学、社会人になってからも幼少期の頃のからの関係がそのままっていうエピソードというか設定なんかがありますが、現実世界ってそういうケースはすっごくレアな感じがしないでもないですが実のところはどうなんでしょう?
例えばですが、5歳の幼稚園児の頃と小学1年2年の低学年と5年6年の高学年、中学・高校、大学、社会人それぞれの世代の頃の自分の精神年齢というか感覚を思い出すことはできるでしょうか?
多分だけど5歳の時と小学校高学年の時でさえ、まったく変わっているはずだと思うんです。
例えば男の子は小学校4年生ぐらいになると、男同士でつるみはじめるでしょうし、女の子は女の子同士でつるみはじめたりしますが、これってなんで?って考えてみると分かり易いかもしれません。
精神年齢的に成長が若干早い女の子は小学校3・4年生ぐらいから男の子よりも勉強だとかクラスのルールだとか、自分のファッションだとか、可愛いものへのこだわりだとかそいう意識が芽生えたりますよね。
反対に男の子ってその時期、あまり自分が来ているものとか意識してないでしょうし、どちらというとおもちゃやゲームに夢中だったり、おぼえたての卑猥な言葉を面白がって連発したりして先生におこられたり・・
まぁ特殊なケースは除いたとして男女という属性で分けただけでも成長過程で価値感というか行動パターンって変わってくるものだと思います。
そして特に男の子は女の子と一緒にいるとからかわれたり・・まぁそんな時期を数年過ごして中学、高校へとあがっていくと、まったく別な交流関係やその中から生まれる価値観や考え方、人生観みたいなのが芽生える訳ですね。
小学生の時も高学年になると男女の差って結構でてくるものだというのはなんとなくわかります。
特に女の子なんかは初潮なども迎え多分ですが男の子もそんな異性の差というものを本能的に感じ取りつつだんだんと性別の垣根というのは小川から大河級へと橋をかけてわたるのが難しくなっていくようなそんな感じなんではないでしょうか?
他人の芝生は良く見えるという諺がありますが、遠くにある不思議なものだとか、よくわからない神秘的なものだとかいう捉え方というか妄想が膨らむ時期でもあるとも言えそうです。
ここまで見てくると、たとえ隣同士で済んでいる幼馴染であったとしても大抵の場合は成長するにつれて疎遠になって、高校生とか大学生になってふと街中であっても他人行儀な社交辞令を話すような関係になるのが普通という訳ですね。
お隣さんといっても、昭和の時代のおうに大きくなってからも各々の家を自由に行き来するみたいな事はご時世まずありえないですし、まぁあったとしてもお母さんが子育て世代で4歳5歳までって感じはないでしょうか?
そういう意味では”幼馴染”というのはある言い現代では消滅した幻影なのかもしれませんね。
ラノベや小説やアニメやゲームで”幼馴染”モチーフがよく使われるのは、多分ですが、それなりに大人向けであれば、もし幼馴染がいたらという妄想を、若い人達の場合は消滅して現存しない都市伝説な感覚でどんな感じなんだろう?という好奇心を、それぞれ掻き立てるものナノかもしれません。
もしかするともともとは物語で出てくる”幼馴染”というのは幻影で本来存在しない関係をファンタジー世界のようにフィクションとして作り出すことで独特なエンタメ性を出せることを誰かが発見して今に至るのだったとしたら・・・
この辺り興味が出た人は社会学の先生だとかに聞いてみるうとか、卒論のテーマにして綴ってみてもおもしろいかもしれません。
ラノベとかアニメに出てくる幼馴染のラブラブカップル:成長とともに変わる意識と広がる異性との距離の法則から現実世界ではほぼありえないといえるレア度だと言える。ということでしょうか・・。
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