印象として現実世界が舞台で高校生ぐらいの学園もの設定のラノベやコミックやアニメ化される作品って異様に両親の影というか形跡がまったくと言っていい程見られなことに違和感を感じた人はリアル!なの!?
思春期に至る過程というのは当の世代の当事者からすると反抗期を経て親離れする時期に当たると思うのですが、そういう意味では、友達関係とか、自分の自我とかいう内面なんかに自信というか、独自の社会性というかを持つことがいわばステータスというか心地良い感じ(ニーズ)というのはなんとくなく分かると思います。
これは、十代のリアルな世代の感覚
恋愛とかラブコメとか友達関係とかというのは、親が介在すると、門限がぁ。。とか、同世代の心地よい人間関係とかエピソードとか夏休みイベントとか合宿イベントとかリアルな現実学園生活ではありえない空想な物語の世界観が、急にリアルに引き戻されてしまうという興ざめしてしまいそうな感なニュアンスもあるかもしれません。多分そんな感じに思う母体は超マイナーではない感じがするぅ...。
この観点も生物学的は非常にリアルで、「この親あってこの子あり」のように、家庭環境や親の遺伝子とかそういうところの引き継ぎ系までリアルに印象として読者や視聴者は敏感にかぎ取ってしまうのだと思うのです。先のパラグラフで興ざめする..みたいなことを言ってみましたが、父、母をみたくないというのはどちらかというとお兄さん、お姉さん、オジサン、オバサンの世代の世界観ニーズであって、主人公やヒロインをリアルではありえない理想な像として捉えたいという欲求からなされているものかもしれません(これは作家さんの内面にあるのかも)
ここ最近放映している作品でも多いですが、実際に主人公、ヒロインの家族が出てくる作品も実は多くあるのです。俺ガイルなんかも、10巻ぐらいで、雪野さんの強烈お母さんが物語の流れを変える切り札的に出てきますし、俺物語もしかり、ニセコイもしかり、きんいろモザイクしかりですね。チラリしかでないものも多いですが、両親のキャラをきちんと出して、この親にしてこの子あり的な背景設定がきちんとなされているとも言えるのです。
ここで、一つの仮説をお話してみるのですが、実は両親の影が濃くても、薄くても、ラブコメや、最近流行の小さな子系やゆり系要素なども、実はきちんと世界観と読者がグイッと入り込むことができる物語を紡ぐことは可能なのです。
どちらかというと、両親キャラなどがきちんと設定されていることで、登場人物の奥行がさらに拡張され、物語の面白みというか、そういうのが出てくるわけですね。
ということは、やはり、多くの登場人物をきちんと設定して、物語のプロットを練る上で上より複雑になる工数を削減する、というか、主人公や、ヒロインとか登場人物に集中してそれだけにスコープを当てる(シンプルにする)という戦略とうか、作家さんの手抜きという訳ではないですが、そいうテクニックというか選択肢を選択したということなのかもしれません。
海外の会社で仕事などをするようになると語られることが多いですが、10のプロジェクトを手掛けて、驚くような実績がでるわけでもなく、SoSoな感じで働いているよりも、3つのプロジェクトを手掛けて1つ驚くような結果を出すべきだ!と最先端の業界とうか、そいうマインドが強く主張されているように思いますし、またそうした企業やプロジェクトは成果を出しているようにも思います。
といういうことから、短期間で、瞬発力で、市場にウケル作品を出すために、十分考慮された結果なのだと思うのでした。
1.10代というコーホート(年代)は親離れでしょという言い訳が効く
→該当層は違和感なくなじめそうだし、高年齢層は、妄想という勘違いを誘発できる。
※丁度絵画のように無駄を省いて遠目にみるときれいな作品になるような感じ..
2.学園モノという分かり易いリアルな現実世界選ぶ
→説明の手間が省ける、10代以上の高年齢層も取り込める
3.両親とか親戚とか面倒な設定がいらない(今風な超効率化が可能)
→SFやファンタジーのように物語の前にそもそもその世界観やその世界のルールや風習やみたいなしちめんどくさい設定や説明をしなくても済む
さあどうでしょうか。こう考えると、やっぱその方が効率的とうか、楽というか、リスクが少なくなると納得するのではないでしょうか?最近SFものだとかハイファンタジーものが少なめなのは、時間をかけて取材やら資料やら、そして沢山のエネルギーをつかって、頑張って架空世界のルールや、科学技術のことを想定した綿密な作業という工数を使って満を持して作品を世に出しても、それが日の目をみるのかどうかわからないこのご時世..そいういう意味でも、「萌え4コマ漫画というフォーマット」にあるような4コマフォーマットとか、スマホアプリで空き時間にチラ読みするような短編縦読み型みちなフォーマットなども出てきているこのご時世、こういう作品モチーフの選び方とか設計というのはリスクを軽減するための至極合理的な考え方なのかもしれません。
しかしぃ。。みんながみんなこういうヤツをやってしまうと、同じような物ばかりであふれてしまい、結果として、つなんないモノばかりでマーケットは縮小してしまうのでした。・・・
と、50年後の学校の「電子化技術の発展と、IT化促進がもたらした、2000年代初頭の文学、エンターテインメントビジネスについて」という講義なんかでどこぞの講師なんかドヤ顔で、若い生徒諸君に話しているかもしれないとこれまた空想してみてみるもの面白いかもしれません。。ね。
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